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登校拒否の実体験から「対話」のある社会を渇望。——「なぜ中野区政に挑戦するのか」酒井直人の悩みと葛藤を記しました(1)| 中野区長選挙候補・酒井直人

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酒井直人が「なぜ中野区政に挑戦するのか」

生い立ちから区職員時代までを振り返り、現在の悩みと葛藤を記しました。

「中野区の組織自体が、区民の皆さんのために取り組む区政でなくなっている」……区職員の酒井は今まで悩んでいた想いを義憤に変え、中野区政への挑戦を決めました。

あなたの悩みも教えてください。共に、「明日の中野」を語り合いましょう。

登校拒否の実体験から「対話」のある社会を渇望。

私は、両親が高校の教師という家庭に生まれました。私と弟の二人兄弟。岐阜県ののどかな町で、のんびりとした子ども時代を過ごしました。小学校までは片道徒歩40分。田んぼの間を伸びる道をひたすら歩いて通学していました。野球が大好きで、近所の友達と日が暮れるまで外で野球をしていました。

人生が一転したのは、小学校5年生のときの両親の離婚でした。

父方の祖父の土地に家を建てていたため、母親の親権となったことで家を失い、50キロ以上離れた母方の実家近くに引っ越しました。

家賃1万円の公営住宅。狭いアパートで、母親と私と弟の3人暮らしが始まりました。母は私と弟のために一生懸命働いてくれました。私も母を助けようと、料理や掃除の手伝いなど家事をするようになりました。

転校した小学校で、いじめに遭いました。異なる方言や自転車のヘルメットの形・色が違うなどのちょっとした違いが原因でした。

もともと排他的な地域性もあり、多様性を認めない土地柄に苦しみました。私は小学校高学年でしたからある程度はねのけることができましたが、弟はもっと苦労したと思います。とはいえ私も一時は登校拒否になり、ひとり親である母親に心配をかけたこと、今でも申し訳なく思っています。

しかし、この経験が「多様性を認める社会をつくろう」と思う自分の原点となりました。小学校6年生のときの卒業文集には「将来は社会に貢献したい。社会的弱者のために弁護士になりたい」と書いてあります。

その志を胸に、高校卒業後、早稲田大学法学部に進学しました。大学では、法律を授業外の特別コースでも学ぶ他、複数の大学から音楽好きが集まった吹奏楽サークルにも所属しました。バックボーンの異なるメンバー達が、対話でお互いを認め合いながら音楽に対峙する。多様なメンバーと演奏を聴く人々が、一体感を持てる。その楽しさにのめり込みました。

多様性を認めるということは、まずは相手の主張をしっかりと聞く、相手を認める、そのうえで物事の決定プロセスを大切にすることが欠かせません。私の現在の基本的スタンスはこの幼少期に形成されたのだと思います。

……続きは「プロフィール」ページでお読みください。

酒井直人の生い立ち、区職員時代の葛藤、中野区政に挑戦するに至った「義憤」。

多くの方にお読みいただけますように。

「プロフィール」ページはこちら sakainaoto.hatenablog.com

あなたの悩みも教えてください。共に、「明日の中野」を語り合いましょう。

当事者にしか分からない悩み、葛藤があります。小さなことで構いません、あなたの声をお聞かせください。

※いただいた声は後日記事としてまとめると共に、今後の中野区政に活かせるよう、日々進んでまいります。

【こちらもお読みください】

sakainaoto.hatenablog.com

※6月6日に「中野区長選挙候補・酒井直人」を記事のタイトルに追記しております。